2015.08.30

意志の合理性

目の前に一万円札があるとしておもむろにそれを燃やす人はいない。なぜ燃やさないのかと言えば、自分の生活にとってマイナスだからである。人生・生活、もしくはその根底を成している肉体の快楽と苦痛の問題である。何かをゴミとして捨てるというのは、それが生活に不要だからである。ただの紙くずと一万円札を同等の夾雑物と見なすのは不可能である。われわれの意志はほとんどが生活のための合理性に縛られている。悦びも痛みも感じない骸として空疎に横たわっているなら苦労はないが、われわれのこの貪婪な肉体の神経は大地に根を張り世界の人質となっている。わずか一晩で全財産使い切るようなことなら、やる人は時たまいるが、どれだけ惚け者の遊び人でも一万円札を燃やす人はいない。質素に生きている人も、苦痛減少主義者と言えるし、やはり快楽・苦痛に囚われていることに変わりはない。意志が自由だというのなら一万円札を燃やしてもいいはずだが、快楽が増えないし苦痛が増えるだけであるから、そこまでフリーダムな人はいないわけである。ここには葛藤もない。快楽と苦痛を巡る精神の劇がない。一万円札を燃やしても快楽が絶無なのだから、内面の戦いに身悶えして頭をかきむしるテーマではない。この欲望が漲ることはないので魔がさすこともない。われわれのすべては生活と人生と肉体の物差しで測っているので、一万円札を燃やすとか意味不明のことをやる人はいない。芸術家を名乗る山師が現代アートと称してやることはあり得るが、これはその奇矯な行為で話題になって一万円以上のリターンを目論んでいるのであろうし、やはりただひたすら無意味なことをやる人はいない。焼身自殺なら人生への絶望が見て取れるし、この苦界から逃れるための合理的行動であると理解できるし、教会に全財産を寄進するのなら敬虔な宗教的情熱として理解できるが、やはり一万円札を燃やす人はいない。ポトラッチとして文化的に回収されるなら燃やすこともあり得るが、そのような人間の欲求に触れる必要がある。







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