この現し世にインターネットというものが登場してから二十年ばかりになるが、コテハンというのはかなり死語に近い。実際は使われているので、死語というのは不正確だが、だいたいは当世風でない時代遅れの人間を指すのであり、使用頻度はかなり減っている。かつてはフォーラム形式が中心だったので、ネットユーザーはそこに棲み着きながら書き込んでいたわけである。ここから常連というものが発生してくるので、それがコテハンである。コテハンという形で有名人になろうという欲望が昔は普通だったのである。これは社会的著名人という意味ではなく、匿名ハンドルだが有名という意である。フォーラムで有名というのは、地元で有名な札付きのワルとか、その程度の知名度であろうが、昔はそういう世界の広さを計測するスケールの観念が無かったので、自分が有名人であるという錯覚が得られたのである。夜に日を継いで書き込み続ける馬鹿がたくさんいたわけだ。だがそろそろわれわれはネットの規模に気付いてきた。引き揚げ船で戦地から帰還し、ひとりの復員兵として新しい日常世界の姿を認識しつつある。アングラ文化は認識の狂いによって生じたものでしかないし、ネトゲ廃人もネットを現実とは別のレイヤーと捉える認識から生まれたものなので、増減は判然としないながら時代錯誤という印象を受ける。90年代はバーチャルという言葉がよく使われていたが、古き日のサイバーパンクは実際のネット世界とは似ても似つかないものであった。ワイアードに神はいないし、ここで新たな生命が萌えいずることもない。たなびく春霞に惑わされていたひとびとが認識を補正し適切な遠近法を学習したのがSNS時代なのである。あくまで通信手段の拡張でしかなく、別の自分が誕生するわけではない。決してパーソナリティーの変更ではないのである。ツイッターでは当然ながら常連というのがいない。一日中ツイートしている人はたくさんいるだろうが、それを常連とは言わない。ツイッターでは有名なコテハンというのがほとんどいない。芸能人とか文化人とか最初から有名な人はいるし、もしくは実名・顔出しでその仲間入りをしようと試みる人はいるが、普通の一般ユーザーが有名になることは滅多にない。おそらくなにかしら押し売りだと感じるとコテハンという古めかしい言葉を持ち出したくなる。読みたくないのに目に入ってくる状態に陥ると、そいつにコテハンという名前を付ける。2ちゃんねるで名無しさんなのにコテハンを付けられるのはよくある。他人の個人ブログのコメント欄に書き続けて自分のブログとして使うコテハンもかつてはよく見かけた。受動性があるところに押し売りはあるのである。つまらない人は人類普遍の難問である。だからフォローしたり検索したり、こちらからの能動的な行動でしか見られない世界になりつつある。これによって世界は整理されたし余計な情報が入ってこなくなったのはいいことであろう。ノイズが減りすぎた状態とも言えるのだが、あの古色蒼然たる世界は弾幕のように張られる押し売りに面制圧されて痕形もなく灰燼に帰したのだから、鋳つぶされて瘴気にまみれた過去を後にして、この綺麗な新世界を受諾するのみである。古い世界に手向ける花もないが、われわれは前進しているのである。ネットで発信するのを放送に喩えるのも完全な誤謬となった。検索したりフォローしないと辿り着けないのだから放送とは真逆のものである。実名という特異点を中心にしたエゴサーチ空間とも言えるが、決してそれはコミュニティではない。個々のネットユーザーがそれぞれの検索とフォローで枝を伸ばしているだけなので、その枝葉の濃淡はあれども、幹はない。関心を同じくする他者とコミュニティを形成することはない。場が発生すればそこを住処として起き臥しするつまらない人が例外なく立ち現れるので、たとえば特定の有名人に10万人のフォロワーがいても、そのフォロワー同士が集う場というのはない。相互フォローとして細切れの線で繋がることはあるが、中央広場のような場所は設けない。関心をともにする場所は押し売りの温床でしか無く、つまらない人と雑居房で居合わせる世界は終わったのである。ネチケットという言葉が死語になったのも、もはやコテハンとして他者と触れあう機会がないからである。人と人が接するところに面積があるとつまらない人が這入り込んでくるので、面積がない数学的な点と線で結ばれなければならない。







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