2015年現在だと、さすがに祟りというのはほとんど信じられていない。天変地異のメカニズムがわかりつつある現代では、祟りは迷信として片付けられたと言っていいだろう。悪霊というのはまだ漠然と信じられている。自殺者が出たアパートに平気で住める人はいるから、誰もが信じているわけではないが、自殺した人が悪霊になって現れることを畏怖する人だっているわけだ。

これは人間の未練という問題の根幹に繋がってくるのである。まずごく普通に未練という感情があるわけである。それに加えて、未練を残して死んだらまずいという畏怖もある。納得できないまま死にたくないという強迫観念である。未練を残して死んだら悪霊化するから、それが嫌だという問題である。われわれの漠たる不安をこのように明文化して問うなら、やはり迷信だろうと思ったりするわけだが、しかしこの悪霊問題を完全に脱却しているわけではあるまい。

未練の永遠性の問題とも言える。人間なんて死んだら無になると言う人はたくさんいるが、完全に確信している人はさほど多くはあるまいし、悪霊というものを半信半疑ながらも信じていたりするのである。理屈で言えば、死んだら無になると思うので、不幸のまま死んでも差し支えがないはずである。幸福でも不幸でも、世界の観測者たる自分自身が消えるので、まったく変わりがない。無効試合になるためにゲームをやっているようなものだから、つかの間の時間を風霜に耐えるだけであり、この苦界というべき現し世の痛みや愁傷などさして問題ではない。リアルタイムで苦しいのは救えないとしても、死後の悪霊化がないなら問題ではない。栄耀栄華を極めた人間でも死んだら無であるから、なんら羨ましいと思う必要もないし、ここには絶対的な平等性がある。

われわれが観測することで世界は立ち現れているはずなので、この観測が停止したら世界も消えるはずなのだが、死んでも霊体となりこの俗世間を眺めるつもりの人がいるわけである。肉体という物差しで測って世界を認識しているはずなので、幽霊に同じ世界が見えるとは思えないが、おそらく素朴実在論の立場なのであろうし、感覚器官は絶対空間と絶対時間にある絶対世界をそのまま映していると考えているらしい。われわれの五感は花鳥風月を愛でているだけでなく、人生たるものを生きているのだから、ここで妄執が生じるのはやむを得ない。空間も時間も世界も人間の観測の結果だと理屈で言っても、あまり納得できないわけである。死んで天使になるとしても、その天使の観測器官が人間と同じとは思えず、まったく違う世界を体験することになるはずだが、そうでないと言い張るのが宗教である。







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