武藤彩未ちゃんは知ったかぶりをしないタイプなので、これは人間としては有徳者だと言えるが、自己演出の能力の低さでもあり、サブカル適性が低い。一般人ならサブカルに興味がないのは長所であるが、芸能人としては短所である。TOEICはある程度学力があれば誰でも受験するものなので、やるのは構わないが、誰でも受けるから上には上がいるという状態になるし、サブカルチャーとは対極のものである。試験に出ることだけやるというのは、一般人なら長所であり、無駄がない人生を歩めるのだが、芸能人としては無駄な知識があった方がいいのである。百人一首を暗記しているのだから、そっちの方が誰とも競合しないし、誰でも受験するTOEICスコアの世俗的な序列とはまた別の価値が出るのだが、いろいろとマネジメントの問題もあるのだろう。

紅白歌合戦の視聴率が60パーセントを割り込んだのは1986年だが、このあたりから世間の関心はかなり分散するようになった。90年代以降はオタク文化が版図を広げる一方であり、ネットが普及してからはさらに加速している。80年代アイドルと言うが、松田聖子の代表曲の大半は1980-1986年あたりだし、小泉今日子も80年代後半からサブカル路線に切り替えたし、中森明菜は1989年に自殺未遂した。80年代アイドルは大衆文化がサブカルチャーに分解されていく直前の文化だと言ってもいいであろう。1980年代は音楽CDが普及し始めて、90年代にCDバブルが来て歌番組も斜陽になった。そしてネット時代になってからはライブで動員するしかなくなった。

小泉今日子は1966年生まれだが、20代になったあたりから、愛読書を紹介するようになって、それが売れたりした。あれはマネジャーの趣味をそのままやっていただけである。小泉今日子は読売新聞の書評委員までやっていたが、本人は読書家ではない。わたしは小泉今日子のサブカル設定を嘘くさいと感じたことはないので、マネージャーがかなりガチなのであろう。まるではるかぜ親子みたいだが、小泉今日子の場合は、やらせる方も演じる方も優秀だったのである。それにあの当時はネットがないので、今みたいに細かく検証されることもなかった。

武藤彩未ちゃんがなぜか松田聖子という設定になっているのは、本人もしくは担当者のサブカル適性が低いので、ずっと同じポジションにいる大御所として憧れたのであろう。世界がサブカルチャーに細分化されても、松田聖子だけは誰もが知る旧世界の国民的アイドルなのである。大衆文化がサブカルチャーに変化していくのに合わせて工夫していた小泉今日子の方が戦略的にはうまかったのに、こちらは歌手としてランクが落ちるであろうし、同時代で見てないとプロデュースの巧妙さがよくわからない。

90年代以降は芸能もサブカルチャーなのである。近年だとそれにうまく適応して成功したのが中川翔子だったが、いろいろ才能があったのに何も身につかず、ただの人格障害者となってしまった。オタクやサブカルはまさに無駄な知識であり、あちこちつまみ食いしただけの末路が中川翔子なのである。とはいえ、中川翔子が成功者であったのも確かであろうし、売れてる間は稼いだであろうから、トータルとしてはプラスであろう。サブカルチャーとは知ったかぶりが本質なのである。試験には出ない無駄な知識をファッションとすることである。中川翔子はそれをやり過ぎた。ナベプロが安易なコラボの仕事を入れすぎたから、知らないことを知ってると言わざるを得ないことも多々あっただろうが、何にせよ、ものには限度がある。







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