人間のたいていのことは快楽と苦痛に紐付けられている。
快楽と苦痛に操縦されているのが人間存在である。
だが、知性だけは、快楽との紐付きが弱いのである。
反知性主義こそが人間であるし、それがゆえに知性は特権的なのである。
読書は苦痛で仕方がないという人の方が多数派である。
食欲や性欲とは真逆の立ち位置だからこそ、知性の自由がある。
食べるのが楽しい、セックスするのが気持ちいいという次元を超越できるのである。
知性と快楽の結びつきが弱いのは、これこそが人間のツールだから、とも言える。
人類という牢獄に与えられた自由なのである。
読書が苦痛だとは言っても、多少の悦びを見いだすことは可能である。
頭を悩ませながら数学の難問を解くのが楽しいという人だっているわけだ。
知性の使用は苦痛である人が多数派であるというだけであり、どこかしら楽しみが見いだせるので使用可能ではある。
人間の感覚では理解し得ない余剰次元を考えるのも可能であるし、こうやって人体が感じている三次元空間に疑念を持つことも出来る。
快楽-苦痛に従う限りは反知性主義に辿り着くからこそ、知性は自由であり、快楽の原理の支配を免れている。
勉強が楽しくないのも、快楽から自由だからである。
飯を食ったりセックスをするような楽しさがないところに知性の自由度があり、ここに制約はないのである。
楽しくはないが楽しむことも可能なツールとして提供されている。
このディストピアに動物として生きながらも、それについて思考出来るのである。







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