なぜわれわれが時代を共有しているのかという問題だが、やはり具体例の説得力が大きいのである。福島原発(2011年)や地下鉄サリン(1995年)のような大きな事件があると、それが社会の巨大なテーマとして立ち現れてきて、共通体験として差し迫ってくるのである。人間存在を具体例無しに語るのは可能であるが、とはいえ、具体例の方がずっと伝わりやすいのも確かである。個人主義のアメリカ人でもグラウンド・ゼロ(2001年)を共通体験としている。

2010年以前でも原発の議論をすることは可能だっただろうが、おそらく食いつきは悪かったであろう。チェルノブイリ(1986年)の後は、広瀬隆の「危険な話」がベストセラーになったし、原発問題は大きな社会問題として俎上に乗っていたが、だんだんと風化したのであるし、2010年あたりだと今さら原発という感じであったはずだ。福島原発の後なら最大級の津波を想定した議論は出来るが、2010年の段階で巨大津波の話をしても伝わらなかったであろう。

やはり関心が起動されることで情報は頭に入るのである。津波の危険性について2010年に語ってもほとんど関心を持たれないであろうが、福島原発以降なら、津波の話は大きな関心を持たれる。人間はパソコンではないから、情報をインストールすればいいというものではない。関心が向くかどうかが重要なのである。福島原発の前の段階で津波や原発の話をされても聞く耳を持たないのが人間である。

戦後社会において最大の事件はなんぞやというと、ひとつには絞れないが、敢えて選ぶなら下山事件(1949年)である。激しい労働争議の渦中にいた国鉄総裁の下山定則が轢死体となったことで、大衆の大きな関心を呼び、世間の耳目を集めた。下山事件の真相は未だに不明であるが、国鉄の労働組合が犯人だと世間は想像したのである。下山事件をGHQの謀略と見ることも可能である。第二次世界大戦が終了してから、GHQは当然ながら日本の右翼勢力の排除に躍起になっていた。最初の頃は共産党を推奨していたと言ってもいいくらいなのである。軍国主義者を対象にした公職追放(1946年)にしても当初は永久追放とも思われていたが、1951年から追放解除が始まり、1952年で全員が解除された。要するに、軍国主義者を徹底排除していたら、左翼が伸びすぎて面倒になったのでGHQが方針転換したのである。下山事件で左翼を野放しにする方が恐いという考えが浸透したのであるし、これも具体例の強さである。公職追放されていた鳩山一郎やA級戦犯の岸信介が首相になったのも、こういう文脈の世相の変化であろう。







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