溺れている人を助けるという喩えはやたらと使われるようである。
損得を抜きにしても助けるという話である。
貧困で困っている人に「ほどこし」はしないわけである。
自分の財布から一万札を出すのは、自分にとっても痛手であるし、相手を乞食扱いすることでもあるから、やるはずがない。
つまり溺れている人を助けるという喩えは、何かしら緊急性のある事態であり、損得を度外視する状況なら人助けはするということなのである。
そういう意味で言うなら、われわれはほとんど人助けはしないのである。
等価交換原理が大原則だからである。
この等価交換という秤が脳に組み込まれているからこそ貨幣は生まれたのである。
乞食を蔑むのも、もしくは自分がほどこしを受けるのを嫌うのも、等価交換原理というのが頭の中に組み込まれているからである。
緊急事態では等価交換原理を度外視するというのも、おそらくは脳に組み込まれているのである。
人道支援という善行を行うと幸福な気分になるように設定されている。
人間は被造物なので、創られたとおりに世界を理解して、それに従い行動しているのである。
われわれは意志を自己固有のものであると信じ込んでいるが、少なくとも根底の価値判断は自分以外の力で決定されている。







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