誰でも死体をグロテスクに思うわけだが、このおぞましく湧き上がる感情こそが、人類共通のマニュアルなのである。
参照できてこそマニュアルというのであるから、ここまで自分と一体化した感情はマニュアルとさえ言えないかもしれないが、どちらにせよ死体はグロテスクにしか思えない。
そもそも生きている人間が開腹しているところだって見たくはないし、内臓はグロテスクであると決まっている。
われわれは素肌に美しさを求め内臓に嘔吐することになっている。

もし仮に死ぬと水蒸気のようになって消えて無くなるとしよう。
そうであれば、死のイメージはかなり変わるはずだし、気軽にも思える。
だが、そうであるなら、その水蒸気のように消えることをグロテスクに感じるように設定されるかもしれないし、やはり死というのはネガティブな感情と紐付けられるのであろう。
われわれはこの設定を自分で決めているのではないが、この感情というものを夾雑物として扱うのは困難である。

とはいえ、感情というアプローチを変更しながら人間が生きているのも確かである。
たとえば顔を水につけるのが恐いから泳げないという子どもはいるわけである。
これに対して、実は恐くないと言い聞かせる、もしくは本人にそう思わせることは可能であろう。
顔を水につけることに慣れれば問題はないからだ。
だがこれにしても、顔を水につけても大丈夫という現実に合わせているのであるし、感情から遁れたわけではない。
葬儀屋や検屍医を考えれば、死体に慣れることは可能であるだろうが、どっちみち感情が適応しなければならない。







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