なぜ自分が同一人物として存在し続けるのかと考えると、一回だけの人生経験から人間が成り立っているからである。
福山雅治には福山雅治の人生しかない。
福原遥はまいんちゃんとしての体験に縛られている。
福原遥がまいんちゃんとしての人生経験を消去したら空洞になってしまう。

一度に二冊の本は読めないというわれわれの性質からして、得ている情報はかなり限られている。
優秀な人でも、というより、優秀な人ほど専門外のことは知らない。
それまでの一回限りの人生経験と学習を背景として存在しているのである。

自分が別人にならないのも、人生経験が固有のものだからである。
おそらく似たような人生が世の中には溢れていると思われるが、似たような人がいるとしても同一ではないし、やはり人生経験は唯一無二のものだと言うしかない。
一回の人生で得た一回だけの経験を反芻して存在しているのであるから、その同一性以外に何もないのである。
福原遥がまいんちゃんとしての経歴を消去できるとしても、その替わりに別の人生経験を得るわけではない。

仮に脳が突然進化して、いろんなことを瞬時に学習出来るようになったら話は別だが、今のところは入力のチャンネルがひとつであり、ひとつの脳に時間を掛けてひとつの知識を容れるしかないので、限られた一回性しかない。
福原遥が過去を入れ替えようとしても無理であり、良くも悪くもまいんちゃんであるしかない。
人生経験を消去しようとすると根源的な虚無しかないのである。

潜在的に人間が万能であるとしても、一度に万のことを実行することは出来ないので、シングルタスクに縛られるのである。
その限定性によって未達成に終わったことに関しては、未達成の願望として断念を強いられるか、もしくは他者に憧れたり嫉妬するのだが、どちらにせよその願望は自分が実現することは出来ない。







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