人間という通り名を持つ害獣はいわゆる民主主義社会に棲息しており、内閣支持率という指標を頻繁に耳にするから、民衆の支持を背景に権力者が存在していると錯覚する。古来からの成り立ちを考えれば、権力の本質は身分制度である。強者と弱者という説明は今ひとつ正しくはなく、高貴と下賤である。貴族と奴隷がいた、というそれだけなのである。ここは非常に重要である。どれだけの偉丈夫であれ、背中を刺されたくらいで死んでしまうから強者というだけではあてにならない。その肉体は高貴でなければならないのである。鞭打たれるみすぼらしい奴隷とはまったく別の肉体を持っている。権力者が正義を説きイデオロギーで理論武装するのも、刃物で一突きされれば息絶える豆腐のような身体だからである。身分制度に根拠など無いのは言うまでもないのだが、本能として人類普遍のものであるのも確かである。本能という言葉が誤解を招くなら、動物たるホモ・サピエンスの原始的動作と言ってもいいが、自分の身の安全だけ考えるなら、自分の方が偉いと主張するのはもっともな話なのである。貴族の面子を潰す事への畏怖は文明の黎明期の基本である。奴隷に面子があるかと言えば、そんなものは端から無いか、あるいはすでに根絶やしにされた尊厳は塵芥でしかないので、それに怯える必要などない。このようなカーストの蔓延を経て、いわば芥子粒となった人間性の恢復のためのテロリズムや革命や人権思想に発展していくのだが、その力学が歴史という物語なのである。「カラマーゾフの兄弟」はドストエフスキー(1821-1881)の死去により続編が書かれずに終わったが、続きの話はアリョーシャが革命家として皇帝を暗殺する筋立てだったとされる。ドストエフスキーの父親は暴君的な地主であり、農奴に殺害されているのだが、革命前夜というべき19世紀のロシアにおいて、父親殺害はドストエフスキーの人生の大きなテーマとなった。







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