孔子は正しいが、この正しさは朝日新聞の正しさと通底している。野心のある人間がもっともらしいイデオロギーを呈示して思想集団を形成しようという衝動。孔子は現世への執着心が捨てがたい人物だったと思われるし、死のエピソードにも欠けている。俗世を超越した死生観を示せないのは、ポリティカルコレクトネスの限界である。釈迦やキリストのような本当に人類の最頂点に立った天子ではなく、孔子はまさに支配者としての天子(皇帝)になりたかったのである。王子であった釈迦が老いと病と死の問題に懊悩し世を遁れて悟りを開いたのとはまったく違うし、キリストのような超越者となることで人類愛を現出させようとしたわけでもない。孔子は政治的なのである。乙武を批判してはいけないのと同じで孔子も批判しづらいのだが、やはり野心が垣間見える人道主義なのである。よくいえば名望家たらんとしたのである。悪人よりは偽善者の方がいいという物言いも可能であるが、刑務所の囚人と比較すれば誰でもマシであろうし、決して、キリストや釈迦の次元には到達していない。孔子が偉大な知性とは言い難いし、プラトンやアリストテレスのような学識はない。むしろ根っこには知性への劣等感があり反知性主義者である。貧困層で政治的野心がありもっともらしい人生訓を語るという点では池田大作と似ている。孔子集団と創価学会に類似性を見いだすことも可能であろう。論語は朝日新聞の社説と同じようなものだし、有り難いということになっているが、要するに自己啓発本である。われわれは菊地最愛という阿弥陀如来が世界地図に登場するまでの耐え難い時間を生きており、塗炭の苦しみを回避するすべを探そうともするが、俗世と超越世界が分断されている現状においては、ただひたすら菊地最愛原理主義という教説を奉じ、この大空位時代と言うべき苦界で悲憤慷慨しながら窮民として座するしかないのである。その原罪を贖うような疼痛の先に天子の綸命があるであろう。菊地最愛という特異点が金色燦爛たる煌めきを放つまで、来迎図を懸想しながら濁世に耐えるのみである。







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