われわれは自分のことで怒ってはいけないルールの中で生きている。
馬鹿にされて怒るのはまずみっともないし、それでも強行すれば、頭のおかしな人という扱いになる。
だから怒りは代行されなくてはならない。
それが政治の根源である。
われわれがボスというものを畏れるのも、この原理によるものであり、ボスに刃向かうとまわりの子分から集中砲火を浴びるからだ。
ボスの立ち位置から、カーストが低い自分へのバッシングがなされるのである。
つまりボスというのは強者ではあるが、これはそのような怒りの起点として仮想されているのである。
いわば天皇機関説みたいな話だが、天皇は実在しているにしても、その構造が実体なのである。
ボスのために怒る、天皇のために刃物を振り回すというのは、人間としてはしっくりくるのである。
なぜ他人のために怒るのかとよくよく考えると説明が付かないのだが、なにしろ自分が馬鹿にされて怒るのは恥ずかしいし、世間的にも狂人として扱われるから、他人をだしにして怒るしかないのである。
ボスが幅を利かせている空間では、人間の信頼関係などないのである。
ボスママの周辺にいるママは、ボスママを出汁にして他人を攻撃するという力学の中にいるだけである。
遠く離れた地域の宗教戦争などを見ても、やはり他人のために怒るというのは人間の基本であるように思われる。
自分が馬鹿にされたら怒らないように気をつけているのに、小耳に挟んだデマでは怒り狂うわけである。
デマを吹き込まれて怒るのは正当な行為なのである。
それが行きすぎるとスマイリーとかいう芸人への名誉棄損みたいになってしまうが、あれで逮捕された人たちでも、自分が馬鹿にされたら怒らないだろう。
言うまでもないが、本当にはらわたが煮えくり返るのは自分が馬鹿にされた時であるが、自分の場合には、あくまで冷静でいなくてはならないのである。
だから怒りを代行して発散する。







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