われわれ人類は神である。
ひとりでゲームをやってもつまらないので、神であるわれわれは自分と他人を分割した。
それぞれの個人から他のプレイヤーの頭の中が見えないシステムを作ることで、ゲームの戦略性が成り立つ。
自分と自分でチェスをやるという間抜けなことにはならない。

この地球で陣地を取り合うゲームにおいて、それぞれのプレイヤーは「他人」として存在するしかないのである。
自分として存在は出来ない。
ゲームの盤面に載っかった瞬間に他人となるのである。
他人の前では他人にしかなれない。
他者の前に呈示される前段階の自分がないとは言わないが、脳の中身をごっそり見せることは出来ない。
どれだけ親しい家族や恋人であれ、自分をそのまま見せることは出来ない。
家族と恋人のことなら何でも知っているということはない。

社会のルールは人間が決めているので、そう決めたからそうなったという循環論法になってしまうが、このトートロジーを避けているのは他人という仕組みである。
人間が決めたんだろうけど、それは自分ではなく他人である。
われわれという神はそのように人類を設計して、世界というゲームをやることにしたのである。







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