ヤクザでも他人がみんなヤクザだったら困るわけである。
もしくは、ヤクザが暴対法で苦しいなら半グレとして生きよう考える連中もいるわけである。
ヤクザも半グレもいなければ、まさにあなたが狼となり残りの羊を食おうと考えるかもしれないし、このあたりはキャラクターの選択の問題である。
これが他人との共同存在なのであり、間違ってもヤクザにならないような人でも、そういう人間のひとつの側面を体現したヤクザと同じ大地で生きているのである。
人間が他者を理解可能であるのは、それが別の環境の自分だからであるが、これは決して人類が友誼を育むべき仲間という意味ではない。
欲望は排他的な性質を持つので、ゼロサムゲームであるから、その欲望を体現している他者は不倶戴天の敵なのである。
実のところ、ヤクザでも一般市民でも、欲望の差はないわけである。
美人とやりたいとか、金が欲しいとか、そういうのは変わりがない。
手段が違うだけなのである。
そもそもあなた方が好きな武士という生き物はほとんどヤクザである。
武士の縄張り争いとヤクザの縄張り争いのどこが違うのかという話である。
正当性や正統性の違いはあるにせよ、戦火を棚曳かせ支配権の版図を広げることで進境を示す人生である。
公務員とヤクザは対極のものと思われているが、やや色調が違うだけであり、構造的には似通っている。
帝国主義というのは「支配する国」と「支配される国」の関係であるが、これは今日では批判されるし、民族自決権が尊重されている。
その余波で愚かしい独立運動や民族対立も頻発しており、世界大戦はなくなったのにあちこちの局地的な内戦で血が流れている。
帝国主義は終わったのだが、「支配する人間」と「支配される人間」の関係は終わる見込みがない。
税務署員は本当にヤクザよりマシであろうか。
西村博之の父親も税務署員である。
社会契約という宗教は妄想と断じなければならない。
どの歴史を通覧しても社会契約というのは行われていない。







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