時代精神なる言葉を使うけれども、なにが悲しくて愚民と思考を合わせなければならないのかという疑問があるわけである。だが、おそらくいろいろと事情があるのだろう。価値観を共有していなければ社会が成り立たないという問題だけでなく、何よりも大きいのは道具の共有である。われわれは電車に乗るのを当然だと考えているが、江戸時代の人は電車に乗らないし、飛行機にも乗らない。人間は裸で歩き回っているのではなく、服を着ているのであるし、そしてその文明の中で存在しているのである。時代というと価値観の問題ばかり考えがちであるが、あくまで道具の機能の反映として価値観が生まれるのだ。電話が鳴っても自分は原始人だから出ないというわけにもいくまい。10年くらい前までは携帯電話の着信音に追い回されていたのだし、このところSNSの普及で、急かすように電話で呼び出すという行為は減っているが、今度はそのSNSに依存している。そもそも携帯電話が普及する前に中高生がクラスメートに電話するとなれば、相手の家に電話するしかなかったし、相手の親に取り次いで貰うわけである。親に取り次いで貰う状態から、子どもが携帯端末を手にする状態に変化したことで時代相が大きく変化したのは言うまでもなく、これについては仔細に述べる必要はあるまい。現代に武士というのはあり得ないし、アサルトライフルで連射出来るのだから、射撃の名手である必要など無く少女でも兵隊になれる。われわれは素っ裸で猿人として生きてるのではないし、手に入る道具でこの世界に接しているのである。やはりインフラの問題を考えると、自分と世界は分離できないのである。グーグルグラスは迷走しているし、中止したとか再開したとかややこしいが、ともかく失敗であろう。とはいえ、このままグーグルグラスのようなガジェットが衰退するわけではなく、たぶん紆余曲折を経ながらこういうウェアラブルの装置は普及していくであろうし、その新時代のツールが無ければ生活が成り立たなくなるのだ。ともかくわれわれは道具、もしくはインフラを使って存在しているのである。ある意味、電車や飛行機はわれわれ自身なのである。自家用ジェットを持っている人は稀であるにしても、お金を払えば乗れるのである。私的所有こそが自己であるというなら、飛行機は自己ではないが、何万円か出せば乗れるからには、これもひとつの自己なのである。ペストは抗生物質で治るから現代ではさほど畏れるべき病気ではないが、抗生物質がない時代のペストの悲劇については書くまでもないだろう。医者は他人であるし、薬も有料だが、利用可能な道具である。やはりその時代の道具によって、人間の最適な行動というのが決まってくるのである。大航海時代の到来によって、ユーラシア大陸を席巻していたモンゴル民族は衰退した。産業革命は言うまでもないだろう。黒船が来たのもそういうことだし、鎖国にも限度がある。それに江戸時代には江戸時代ならではの時代性があるのだから、鎖国することで時代精神そのものを拒んでいたわけではない。







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