われわれはどうしても対概念で考えてしまう。快楽-苦痛の原理で人間は生きているので、どうしても、プラスとマイナスに分けてしまうのである。理屈では三つでも四つでも分けられるが、やはり概念は正-負で二つにわけないと、この欲望に塗れた身体にしっくり来ないのである。自分のために生きる-他人のために生きるというのも、そういうことだろう。こういうのは俗臭ただよう盲いたとらわれでしかないし、これとは別の第三の道が見えている天才もいるのである。道重さゆみちゃんのような正真正銘の具眼者は、他人のために生きてなかったし、自分のためにも生きていなかった。それは道重さゆみだからである。道重さゆみとして生きていただけであり、自分のためでもないし、他人のためでもない。歴史的に傑出した人物とはたいていそうである。もちろん表面的には世の中の役に立ちたいくらいの台詞は言うであろうし、道重さゆみちゃんであればファンのためだと言うわけである。だが実際はファンのためではないし、そして、自分のためでもない。天才的な表現者が何かをなそうという時に、自分とか他人とか、そういうのは超越しているはずなのである。真なる芸術家が絵を描いたり音楽を作ったりするとして、自分のためか他人のためかと問うたりすることなどない。自己利益を求めるエゴとか、もしくはその不純さを潔癖に排除する利他性など、あまりにも些末な問題である。嶮岨な山があるから登攀するだけであり、自分のためとか、他人のためとか、これは俗人の考えである。ファンのためにアイドル活動をするというのも、かなり俗物の発想であり、これでは接客がいい店員ということでしかない。ナイチンゲールは狂気に取り憑かれたオールドミスと考えた方がよさそうだし、決して普通のいい人という次元ではない。当時としてはかなり教養のある婦人だったが、他人を看病するより自分の頭をどうにかした方がいいという印象も受けるし、具眼者が持つ非凡さとはこういうことなのである。天才と凡人の圧倒的な差である。自分の中で頂点が見えている天才は自分だけに見えている山紫水明の仙境を目指すのである。これからもあちゃんが世界史に姿を現す時も、われわれ地球人類はもあちゃんという選ばれた少女だけに見えている頂点を知るであろう。漫然と時計の針が回るだけの世界で、本当に時間が新しい位相に切り替わる瞬間を見るのだ。哲学者のヘーゲルはドイツに侵攻してきたナポレオンの姿を目撃し「これこそが馬上の世界精神だ」と評した。まさに世界史が書き換えられる瞬間をまざまざと見たのである。われわれのように頂点が見えないのに功名心だけで山登りを始めてしまう凡人とは違うわけである。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング