喩え話というのはややこしいこともあり、結論をミスリードするために偏った喩えを持ち出すこともあるから、われわれは喩え話をあんまり思考の礎だとは思っていない。
だが、やはり喩え話こそが思考の根幹なのである。
そもそも物事は具体的に発生するのであるから、具体的にしか語りようがない。
福島原発のような話題は誰でも避けられないトピックだが、このような具体例を共有して、社会は成り立っているわけである。

「喩え話」と「具体例」は区別は出来るだろうが、さほど違いはあるまいし、人間にとって現象世界が経験として現れてくることに根ざしている。
書き手が喩え話を出さなくても、読み手が喩えを自分で考えることもあるだろう。
抽象的な話をされた場合には読み手が補うわけである。

つまり経験則ということに帰着してしまう。
われわれの思考は経験則を作り出しているわけである。
あまり知的レベルが高い人でなくても「恋愛でよくあるパターン」とかそういう雑談はするはずだ。

そもそも世界は複雑系であるから、疫学的にしか捉えられないことが多々あるわけだ。
発達障害でも「衝動的で注意力足りないのがいるよね」とADHDという括りをするわけだ。
ニューロンとかシナプスとか、その細かいすべての仕組みから発達障害を語るのは困難であり、どうしても、こういうパターンの人という話に落ち着く。
人間が複雑系を読み解けないから、結果を大雑把にパターンでまとめているわけだ。
もしくは現象として立ち現れてくることが人間と人生そのものなのだから、そこからさらに分解しても意味はあるまい。
いや、分解できるなら科学としてすごいけども、結局は人間と人生の快適な体験に寄与することが求められる。







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