待つのが苦痛である理由はいろいろあるだろうが、端的には脳の設定でそう決まっているからである。
決まっているから決まっているのである。
われわれは現在しか知らないし、時間は本当は細切れであるかもしれない。
連続性があるかどうか疑わしいのだが、われわれの脳は時間を連続的に感じている。
たとえばスマホでゲームをやろうとしたら、メンテで三十分待たないといけないとする。
あっさり他に関心を移すこともあるだろうが、そのゲームに熱中している状態だと、三十分をイライラしながら待つわけである。
ゲームがやりたいやりたいと思いながら三十分間待つわけだ。
この三十分は連続しているわけである。
持続性があるわけだ。
この苦痛は脳の設定である。
そして待つのが苦痛であるから、その苦痛の重みによって、われわれは時間の連続性を信仰するのである。
待っている間の自分はずっと同一なわけである。
人間が本当にずっと同一かどうかは知らないが、この「待つ」という重みが同一性を演出している。
ゲームのメンテ開けを30分待つという事例で話してきたが、もっと長い「待つ」という状態もあるわけだ。
悲願が達成されるまで待ち続けるような、そういう持続性である。
それによって眠れぬ夜を過ごすこともあるわけである。
未達成であることのストレスということだが、これはやはり時間の持続性や、自己の同一性が大前提であるし、これが寝ている時の夢みたいに設定がランダムにコロコロ変わるなら、「待つ」ことに意味はない。
人生が一回性であり、生誕から死亡まで時間が連続していると演出するために、待つことが苦痛に感じる仕組みになっている。
現在がずっとループしているのが時間の実態であろうと思うから、時間が直線的に見えるのは脳の補正である。
待つことでストレスを与え、その重みで時間の長さを演出しているのである。
すごい空腹の状態で食事が出されるのを待つとして、一分と三十分では重みが違うのである。
現在のループ構造として考えると、一分でも三十分でも同じはずだが、長くなるだけストレスが重くなるように脳が設定されているので、過去から未来へと時間が流れていると錯覚する。







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