快楽-苦痛の原理が人間のすべてを貫いているのだが、馬鹿が苦痛なら馬鹿はこの世にひとりもいないので、やはり馬鹿は快楽である。馬鹿はとても楽しそうであり、酒宴が佳境に入ったような愉悦の時間を過ごしている。絶えることなく愚昧なことを書き綴っても飽きることがないのは頭の中がイエロージャーナリズムなのであろうし、もしくは重症の馬鹿は遊び心で鉄道に置き石をするような罪障深きことだってするのだが、血塗れの轢死体が居並ぶ罪穢の深淵を想像する力もないし、ただ鉄道が転覆したら楽しいという観念に囚われるのである。馬鹿はどうしようもないので、空疎な時間の消費が大事件に至らずに終われば最高の結末である。時間を浪費する楽しさを覚えたら、というより、それしか楽しいことがない人生であるなら、馬鹿という快楽に走るのである。これが低質な快楽であることは言うまでもなく、頭の中に遊弋する雑念に飛びついて連日連夜暴れる行為が究竟の美や法悦であるはずがない。誰しも快楽-苦痛がすべてであるから、これは別の快楽に置き換えればいいのである。坐禅によって雑念を消した方が快適であるし、無我の境地に至り、山紫水明の内面世界に辿り着くのが、遙かに煌びやかな無なのである。馬鹿は理性の問題ではない。マグマのように鳴動を続ける雑念が馬鹿な行為を惹起するのだから、坐禅によって虚無の静謐さの境地を体験しなければならない。







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