われわれは分類せずにはいられないのである。
まず森羅万象のほとんどを知らないから、何かしら漠然としたイメージで世界を把握しているだけであるし、フランスに行ったことが無くても、なんとなく知っているつもりのような、そういう理解をしている。
それぞれの物事が本当に唯一無二のものであるとしたら、それはそれとして認識が難しく、何らかのパターンに当て嵌めずにはいられない。
われわれは人類はお互いに会うことがほとんどないのだが、だからこそ会ったことのある人間を分類するしかない。
それぞれの人間を分類しないとしたら、人類ではないからである。
「こういうタイプの人」という括りをすることで、共通体験があるという幻想を持つのである。
この共通体験は本当に同一のものではないが、同一のタイプという分類で共感するわけである。
やや極端に言えば、映画館で隣の席にいる人が同じ映像を見ているかどうかも定かではないのだが、主観性の問題をそこまで深く問うのはやめておこう。
ここではとりあえず隣の席なら同じ映画を見ていると考えることにして、個人の認識が完全に隔絶されているとは捉えない。
ともかくわれわれ人類は、たいていは隣の席にはいないから、居合わせることがほとんどないし、それぞれ別の経験しかしていない。
だから共通体験のほとんどは擬似的な共通性であり、同じタイプであろうと推察しているものでしかない。
この共通性はどうしても必要であろうから、様々な事象をあれこれと類聚的に分類してタグを付けて、共通性を擬似的に演出するしかないのである。
つまり似たようなイメージを思い浮かべているはず、というのに過ぎないから、本当に同一どうかは疑わしいが、しかしこのイメージのフォーマットそのものが人類共通であろうとも思える。
たいていの言葉が翻訳可能であることからして「あれ」とか「これ」で何となく通じるのであろう。







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