2015.12.21

苦痛の崇拝

トロツキーはニーチェ思想を苦痛の崇拝であると評したが、実際にそうではあるだろう。
快楽-苦痛の原理が人生のすべてを貫いているからこそ、苦痛を美化しなければ人間は生きていけないのであるし、人間の人生の基本的なことだと言えるから、ニーチェが苦痛を崇拝するとすれば、普通より強調して言っているわけである。
快楽を増やして苦痛を減らしてQOLを向上させるのがオーソドックスな人生だが、そう順調にもいかないので、どこかで苦痛に意味を求めるしかない。
快楽-苦痛の原理からして、苦痛は無意味であるはずなのだが、これを美化して意味を与えていかないと、苦痛の無意味さに押しつぶされるからである。
ニーチェであれば、ここをさらに強調して、血塗れの犠牲によってヨーロッパ文明は作られたとか、そういう類の論旨を展開するわけである。
一般の人でも「尊い犠牲」という言葉はよく使うし、ただ単に犠牲になって死んだというのではなく、そこから教訓を引き出すなどして、それが生かされていると考えるわけである。
おそらくニーチェの書き綴る文章が文学的に美しいのは、苦痛の崇拝が根底にあるからであろうし、「力への意志」のところではなく、苦痛の崇拝が人気の根幹かもしれないのである。
血で書かれた文字にこそ価値があるとニーチェは言うが、こういう物言いも、やはりどこかしら快楽を否定しているのである。
ニーチェは快楽肯定論者のように見えるが、ポイントはそこではないのである。
つまりキリスト教のような禁欲思想をニーチェは指弾するけれども、やはり禁欲と似通った苦痛の崇拝というロジックは多用しているのである。
というより、ここはそもそも線引きは出来まいし、微妙なニュアンスの違いであり、その違いが重要なのであろう。
苦しんだら報われるとニーチェが言うことはないであろうし、苦痛から単純な信仰に誘導するのではなく、血を流して力による世界の構築という物語性を作るわけだ。







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