トランプだと、終わったらお互いの札を晒したりするが、人生は手札を晒さない。
死ぬ前に手札を全部晒すということはないのだし、墓場まで持っていくわけである。
「今だからあの出来事の真相を話す」というケースもあるが、別に自分の人生のすべてを晒すわけではないし、やはり手札を晒すことはないのである。

この世界は完全情報ゲームとは対極であり、他人の手札が見えないわけである。
それではすべてが謎なのかというとそうではなく、同じ人間であるから、だいたい察しは付くのである。
見えなくてもだいたい想像は付く。
というより、裏側を読まないとなると、アスペルガー症候群か、もしくはアスペルガーのような性格ということになる。

死ぬ前に全部晒して答え合わせというのがないから、想像が正しいかどうかは、究極的には不明である。
重大事件なら警察が捜査して真相が世間に公開されたりするが、逆に言うと、そういう事件性がなければ、われわれは他人の真相を調査する権利を持っていない。

プライバシーを守りたいという感情の根拠はよくわからないが、これが人間の根幹なのである。
仮に恥という感情がなく、自分の状態を完全にオープンにして生きているとしたら、現在とは全く違う生き物である。
単純に言えば動物にはプライバシーの観念はあるまいが、動物だと隠すような社会的事情や戦略性もあるまい。
人間社会の仕組みとしては、プライバシーの意識が強い中で、お互いの手札がわからない状態で戦略的に読み合いながら接しているのである。

言うまでもないが、表面は開示するのも世界の本質である。
存在するからには、正体不明というのではなく、表向きのペルソナは持っている。
だが全部を洗いざらい晒しているわけではない。
裏側は想像するしかないし、端から見ていてある程度はわかるのだが、いつまでも想像のままである。
ゲームが終わって手札をオープンということにならないのは、まさにその手札そのものが自分であるからだし、やはり人生はゲームに似ているがゲームではないのである。







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