インド人がいい加減であるから、仏教に正統も異端もなく、あれこれと宗派があるわけだが、日蓮の流れにある創価学会が信者を多数抱えているのは興味深いところである。
国民国家という概念など無い時代には似つかわしくなく、日蓮はナショナリストだったし、なぜか日本が侵略されると憂いており、実際にモンゴルが攻めてきた時は、まさに自分の予言が的中したという自負を得たであろう。
日蓮は貧しい漁師の家庭に生まれたとされるが、受難者としての意識を強く持っており、天意を受けて選ばれた者であると確信しているし、一神教の預言者のような感覚なわけである。
本来なら自己反省し悟りを開くのが仏教であるはずなのに、日蓮は法華経を信仰するのを前面に出して、教えを拡大することを目的としていたのだから、あたかも一神教の信者が教典を崇めるかのうようである。
これは仏教を一神教と誤読して別物にしたと言って差し支えあるまいが、ともかく日本を救うために布教(折伏)するのがモットーだから、信者だけは拡大していくのである。

そもそも仏教というのは衝動性への反省であろうと思う。
衝動性がない人だと、煩悩と言われてもあまりピンと来ないはず。
衝動に突き動かされた結果として痛い目に遭ったことがあるから仏教に関心を持つのである。
われわれの衝動的な意志そのものが悪いという考えである。
人間が何かに取り憑かれて生きることで災厄をもたらすのであれば、何者にも取り憑かれない無の状態を志向するということである。

日蓮は根深く煩悩に取り憑かれた人間であろうが、自分が救世主であるという確信が強いから、救世主たらんとする願望が我欲だとは思っていない。
日蓮にかぶれた人間というと石原完爾や宮沢賢治が事例としてよく挙げられるが、なんか最終大戦とか終末思想とか、少女漫画みたいというか、オカルト的な宇宙観の持ち主と言える。
このジャンルの人には仏教特有の無常感がないし、すべては無だと悟るつもりなどなく、気宇壮大な世界観を作り上げてしまうが、そもそも小乗仏教から大乗仏教への流れからして適当なのだから、仏教を信仰するという変な宗派が出てきても仕方がないのであろう。
自分が悟りを開くという釈迦から遠く離れて、人々を救済するという大乗仏教が蔓延したのが鎌倉時代であった。







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