人間はどうしても対概念で考えてしまう。
人間を分類するとして、たとえば五種類くらいに分けると、なんか雑然とした感じになる。
善人と悪人とかそういう対概念の方がしっくりと来る。

薔薇の品種は何万種類もあるそうで、それを羅列するのは出来るわけだが、薔薇というのを何かの比喩として使うなら、どうしても対概念になりそうである。
イメージの悪い花を薔薇と対極の位置に置いて、それと対立させて考えたりするのである。
価値判断を含ませるとどうしても対概念になる。

平凡-非凡というのも、対概念が生み出した悪魔である。
平凡な人というのはいるわけで、みなさんのまわりでも、いかにもバランスが取れた無難なタイプの人間はいるわけだ。
これを対概念として用いるとややこしくなる。

人間を品種として羅列するなら、たとえばこんな感じになるだろう。

・極めて優秀な人
・平凡な人
・出来損ない

これを平凡-非凡という対概念にしてしまうと、極めて優秀な人間と、かなりの出来損ないが同じグループに入ってしまう。
「普通ではない人」として括られてしまう。
そしてこれが自意識の病なのである。

自己啓発本がたくさん発行されているのも、おそらくこのあたりが原因であろう。
極めて優秀な人がああいう愚にも付かない本を読むとは思えないし、たぶん出来損ないの人が、非凡だという自意識を持って自己啓発に取り憑かれているのだ。

これは人間の業病なのである。
たまたま優秀であれば発病しないが、そうでない場合には「凡人ではないから選ばれた人間」という思考に陥る。
何かしら自分を特別な存在だと思わないと自我が成り立たないのかもしれないし、この病気そのものが人間とも言えるから、快癒はあり得ないのである。







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