思いこみが激しいという言い方があるが、あまりにもこの言いまわしに馴染んでいるため、ほとんど考えずに使っており、意外とこの狂疾の病因について考えることが少ない。思いこみが激しい人は、ひとつの選択肢だけに固執しており、他の選択肢をすべて拒絶している。これは自分の中の「決意」に酔ってしまった状態である。たぶん無意識の、つまりほとんど自覚がない英雄願望があり、自らの決意を決め込んで、すべての退路を断つのである。ルビコン河を渡ってみせることで、歴史の中で大文字の記号たらんとするのであり、選ばれた人間としての決定論的な「運命」が立ち現れてくるのである。ただ単に成功するだけでは飽きたらず物語を求めている。これはしばしば論理の転倒を伴うし、退路を断てば才能が覚醒すると信じ込んだりする。成功者が回想録を書き綴るとして、まるで運命に導かれたかのように語ることはよくあるし、それをただのまぐれと指摘すると嫉妬していると難じられそうであるし、必然的だったと語るのは成功者の特権であろうから、さえずるに任せているのである。人間は分身の術が使えないので、誰でもあれこれと断念しなければならないのだが、野球もサッカーも出来る人が、サッカーに専念するために、わざわざ自分の手を切り落とすとしたらおかしなことであろう。(腕がなければスローイングが出来ないが、これは喩え話なのでそこまで問わない)。サッカーをやりたければやればいいだけの話であり、腕を切り落として退路を断つ必要はないのである。思いこみが激しい人に「他人の言うことを聴かない」と批判しても無駄である。そのような客観的合理性の否定こそが、選ばれし彼のアイデンティティーなのである。選ばれた人間になるためには、他の選択肢を全消去しなければならないという無知蒙昧な迷信があるのも確かであり、彼は不確定で偶然に委ねられた未来を模索しているのではなく、呪術的な決意に身を捧げ、自己の神話としてすでに決まっている約束の地に向っているのであるから、他のもっとマシな道筋を示しても耳を貸すはずがない。それは決してラディカルではなく、むしろかなり古典的で保守的な発想なのだが、この流動性の高い世界には似つかわしくないのである。







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