電球が切れて代わりのものを買いに行くのは楽しくない。だが、新型の照明にしようというのなら楽しいわけである。人間にとって好奇心は重要であり、真新しいものが好きなのである。ドンキホーテが成功したのも、余計なものが売っているからである。必需品ではないが、あれば何となく楽しいというところを狙っているわけだ。安っぽいが楽しいというラインであるから、無駄遣いではあれど、ブランド品とは対極であり、さして財布も傷まない。この楽しさという余剰は、余計なお金であり、そこを潰してこそ生活を切り詰められるのだが、そういう過剰な倹約が望ましいかどうかはわからない。これはデータがあるわけではなく印象の問題でしかないが、かつての日本人は10円を節約することに心血を注いでいた。節約というのは現在を断念することでもあるから、あまりにも過度な節約は神経症の病因である。バタイユ的に言うなら、修道服を着た敬虔な少女は、手練れの娼婦より遙かに性的な記号として強いのであり、それがエロティシズムの根源である。天国への愛を捧げるべく修道院で生涯を終えるからこそ、即物的な娼婦の裸体とは比べものにならない性的な価値を帯びる。容易く触れられるものよりは、遠く隔たった理想世界に思いを馳せる方が頂点への道なのであるが、それへの報いはせいぜいヒステリーで気絶して白目を剥いて倒れるくらいであろうし、原理的に触れられないものに懸想する宗教的なアティテュードは人間を蝕んでいくのである。禁欲という文法に基づいた綴り字はむしろ悪魔的な記号であり、それによって書かれた聖なる物語がどれだけ血腥いか、歴史を辿るだけで答えはわかっている。このところわれわれは物事への厳しさを失い、温厚さを重視するようになったので、過度な禁欲に根ざした神経症から解放されつつある。節約にしても、かつてのように死んでも10円を節約するのではなく、自動車には関心を持たないとか、そういう欲望の草食化で対応しているわけである。連日連夜の遊蕩生活や法外な高額商品に取り憑かれなければ、そうそう根深い金銭問題にはならない。神経症とは、禁止することで欲望を募らせるヒステリーであるし、あまり厳しくしなければ、それなりの無難なところに落ち着くのである。ドンキホーテに陳列されている安っぽい商品を断じて買わないというよりは、気軽に買って好奇心を満たした方が、超越世界を夢想する煩悩から遁れられるであろうし、欲がない枯淡の境地というべきである。







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