われわれがなぜ時代を共有しているか、という問題だが、人間は組織に帰属して存在しているのがひとつの大きな理由である。

基本的に世の中の多くの人は雇われているわけである。
大企業の社長でさえ「雇われた存在」と言える。

JRの職員が客に殴られるというニュースはよく目にするが、昔の国鉄職員の勤務態度は悪評を極めていた。
民営化されて低姿勢になったら殴られるのだから興味深い。
国鉄職員が偉そうにしていたのは、国に命令されたわけではあるまいし、このあたりは組織の腐敗の問題でもあるが、ともかく、その時代の組織のメンタリティーに従っているのだ。

子どもだって学校に通うわけだし、その時代の学校組織の論理に従っている。
時代から遁れられないのは、そういうことなのである。

法的な問題はともかく、雇われているからには責任がないというのが人間社会の常識である。
責任は組織にあるのだ。
組織が腐敗する温床でもある。
役人がやらかしても、どうせ税金で賠償するから、腐敗を極めることは当然あるのだ。

すべては「組織的」なのである。
戦略的なものであるにせよ、腐敗が蔓延しておかしくなってるにせよ、その組織人ならではの言動をするわけである。
人間が時代に従って生きているというよりは、組織に従った結果として、それが時代を生きたということになるのである。

組織にも代表者はいるのだし、ヒトラーが全部悪かった、スターリンが全部悪かったと責任者を特定することは可能であるし、法人でも株主代表訴訟はあり得るのだが、とはいえ、組織もしくは法人の構成員の無責任さというのは回避されていない。
組織という無生物が決定したことにしているのだから、その組織の構成員に文句を言っても、「俺が決めたわけではない」と逆恨みされるわけだ。
総会屋に金を渡した社員が有罪になった判例などからすれば、仕事でやむを得ずやったことでも法的責任はあるのだが、問わないのが普通である。







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