2016.02.02

市場と時代

ビジネスとして誰も注目してない隙間を狙うのもあり得るのだろうけど、やはりどうしても、ブームになっているところに乗っかろうとするわけである。おそらくそれは合理的なのであろう。供給過剰でバブル崩壊する凶兆が散見されていたとしても、自分のところはうまくいくかもしれないし、その百花繚乱たる華やかさを生み出す肥沃な土壌に抗えるわけもなく、瘴気が漂い始めた綻びも奇瑞と見なして参入していく。もしくは自分でまったく新しいことを始めてもいいが、流行れば必ずフォロワーが出てくるので、俯瞰的に見るなら同じ話である。人間は交換する生き物であるから市場の埒外には存在し得ない。市場とは三次元空間のどこかに固定されているのではなく、人間の取引する活動を総称する概念である。取引が活発になり、その市場が膨れあがり、たとえばあちこちのビルのテナントに流行りの店が入ったりして、街の風景も様変わりする。この新時代の華やかさも、ブームが去れば、流行遅れの廃れたお店として撤退するので、また景色が変わる栄枯盛衰であり、端境期の空白の寒々しさに打ち震えながらまた次のムーブメントを待つのである。われわれが時代の虜囚であるのは、どうしても盛り上がってる市場を無視できないからである。貨幣とは決済手段であり、一万円札が増えたり減ったりはしない。誰かが何かを買えば、それを売った人のところにお金が移動するだけなので、社会としては一万円札の持ち主が変転していく円環構造である。取引こそが経済の本質であり、取引しない限り所得-消費の輪に入れないのであるから、バブルもしくはブームが発生すれば誘蛾灯として、飢えたわれわれを吸い寄せるのである。市場が盛り上がったら、類似したビジネスがあれこれ立ち上がるので、どうしても時代の共通性が出てくる。人間の大半は社長ではないし起業家でもなく、雇われている人であるから、個人の自由意志として物事への旗幟を鮮明にして生きているのではなく、組織に命じられたからやるのだ。会社がソーシャルゲームをやるとなったら仕事としてやるのである。ユーザーの浅はかさを煽動し対立させ、札束で戦わせる。このところモバゲーやグリーが不振であるのも、ファミコンが懐かしく語られるのとは真逆に、ユーザーの間に根深いトラウマ、もしくは、路上でのいざこざを思い出して苛立つような経験しかないからであろう。時代性に右顧左眄する軽佻浮薄な言動はしたくなくても、人類はあくまで共同作業である。それに、このような時代性こそが人類の雪月花というべき可能性を開き示すこともある。それぞれがオリジナルの作品を作り著作権や特許などを持つとしても、剽窃にならない範囲内での刺激は受けており、それはリスペクトとして表明されることもある。このような影響関係は難じられるどころか、天才の系譜として綴られるものであるし、ジミ・ヘンドリックス(1942年生まれ)、ジェフ・ベック(1944年生まれ)、ジミー・ペイジ(1944年生まれ)、エリック・クラプトン(1945年生まれ)あたりが似たような年齢であり、またいろいろと運命が交錯しているのも、ひとつの文化運動として人類の記念碑となる。文化はある程度はオープンソースであり、創作者は自らの内面の筐底に秘するために作っているのではなく、人類に呈示するためにやっているのである。商業化以前の世の中であれば、貴人であるパトロンが食客を養いながら、様々な文化運動に理解を示し、人類の教養を担っていた。藤原道長と紫式部に交流があるのは偶然ではないし、当時の宮中に清少納言がいたのも偶然ではない。あたかも符牒のように同時代人であることを示す刺繍が金糸で縫い取られている。今日のパトロンは消費者である。様々な商品や作品はクリエィティブコモンズとして提供されているわけではないから、権利者への配慮は必要だし、丸ごとパクるのはまずいが、影響を受けて作るのは許されている。悪質な盗用や、もしくは、山中教授に触発されて小保方さんが登場したような悪夢もあるのだし、レプリカや偽作や誇大妄想患者は徒花として付き物であるが、それも同時代性なのである。







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