人間の肉体の脆弱性を考えると、いじめは不思議なものである。
肉体の強い弱いはもちろんあるが、野生動物に比べたら人間はかなり運動神経が悪い。
後頭部や頸椎など致死や全身麻痺に至る部位を殴りつけるのは容易い。
だが、弱者が強者にそれを実行したという話をほとんど聞いたことがない。

こう考えると、強い・弱いというのは身体能力の裏付けを伴わない。
強い・弱いという腕力の格差は確実にあるとしても、人間の運動神経では背後から攻撃されたら対応出来ない。

権力はタブーの問題である。
尊厳の問題である。
貴族を傷つけるのは許されない。
身分制度がなぜあるかというと、身体を傷つけてはならない理由がそれしかないからである。
「この人に人権がある」というよりは「この人は貴族だ」という方が説得力があったのである。
その貴族の尊い肉体を傷つけるなど万死に値するということなのだ。

これはすでにニーチェが19世紀に「道徳の系譜学」で、主人道徳-奴隷道徳の対立問題として示した。
自分の身を守るために「俺は貴族だ」という論法もあれば、「人間は平等だ」という論法もある。

いじめは反社会的ではなく、むしろ社会的である。
人類は運動神経が悪いので、自分の肉体を肉体で守ることは出来ないので、社会的に守るしかない。
貴族だと宣言し、社会を実効支配すれば正統性が生まれ、ついでに民衆の膏血を絞り取れるわけだ。

だからいじめっ子が女にモテたり美人と結婚して幸せな家庭を築いたりするのは当然である。
なぜなら社会的であるし、役人根性だからである。
前半生でいじめという社会的行動にいそしんだのであれば、後半生で社会的にうまくいくのは当然である。

東浩紀とか乙武みたいに文化人ビジネスで儲けている人間であれば胡散臭いリベラル思想を唱えていればいいが、人類という難題に向き合うわれわれとしては、そう容易く社会が進歩するとは思えないし、この生き物はいつまでも主人道徳と奴隷道徳の間を揺れながら血腥い存在であり続けるという危惧を抱いている。







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