負けず嫌いとはなんぞやと言うと、どれだけ負けても「勝つまでやる」という気性の激しさである。
そして根っこの部分の改善はしないのが特徴である。
戦艦大和が轟沈しても、また再び戦艦大和で戦うのである。
つまり戦艦大和そのものは変わらず、細かい作戦行動が変わるだけである。
端的に言うなら反復強迫である。

はるかぜ親子がなぜ同じ失敗を繰り返すのかという問題も、やはり戦艦大和だからである。
母親は芸能界で轟沈したが、娘は同じ戦艦大和でも沈まないことを目指すのである。
失敗したからこそ、同じやり方でもう一度突撃するという負けず嫌いのサンプルである。
この連中の辞書に反省という言葉はない。
中川翔子に食いついたことでナベプロに入れたから、最底辺には堕ちないにしても、どこからもオファーがないことに変わりはない。

もう少し普通の事例で言うと、サッカーの才能のある負けず嫌いが、サッカーに固執しているとする。
それであれば、負けず嫌いな性格ゆえに、時間というリソースを本人の得意なサッカーにすべて投じるから、これはうまくいく。
だが、これはたまたまである。
負けず嫌いは馬鹿なので、ここまで考えてない。
サッカーの才能がないのにブラジル留学くらいは平気でやる。
だから人格障害なのである。

もちろん普通の人でも負ければ悔しいのだが、パチンコで負けたらパチンコで取り返そうとするような馬鹿はやらない。
負けたら損切りするだけであり深追いはしない。

とはいえ、人生は一回性である。
戦艦大和を作ってしまったら使うしかない、というのもある。
時間を巻き戻して、大艦巨砲主義を見直して、その予算で戦闘機を作ることは出来ない。
これが「自分」という病なのである。
この愚かしさが人間であるとも言える。
同一性こそが自分である。
外側だけ別人になりたいという人はたくさんいるが、中身まで別人になったらそれは死である。
おそらく「自分」というのは無くて、悪瘡のように根を張った思考パターンだけがあるのが実情であろう。
馬鹿みたいに反復しているパターンを、自らの個性に違いないと思いこむのだ。
人間に寿命があるのもそういうことなのだろう。
偉い人でもずっと生きていたら困る。
毒にも薬にもならないような人はどうだか知らんが、たいていは業を積み重ねているのであり、その罪科を糺すためにも個人は死ななければならない。







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