どっちみち寿命で死ぬのに、なぜその半ばで死ぬのがそんなに嫌なのかというのは疑問であるし、90歳とか長生きして老衰で死ぬのを賛美する理由も判然としないが、たぶん長寿は死を曖昧にするのである。高齢の老人が死んだ場合の葬式がわりと和気藹々としているのも、長寿を達成して見事に完結したという感じで捉えられているからである。死というタブーを遁れた安堵感なのである。ジミ・ヘンドリックスやカート・コバーンのように27歳で死ぬと駄目なのかというと、これはそうではあるまいし、90歳くらいまで生きるのが凡人のなし得る業績なのである。ジミ・ヘンドリックスなら27歳で変死体になっても構わないのだし、生命尊重とか通俗的な正論を言うひとはいないだろうけども、凡人が27歳で死ぬと本当に痛ましいわけである。その中身のない27年間が、あまりにも痛々しく気まずい。万引きで捕まった少年が逃げて、その途中で鉄道に引かれたとか、その轢死体の無意味さは圧倒的であるし、こいつ何のために生まれてきたんだと慄然する感情が、何者にもなれないわれわれの人生全般の不安として輪を広げ、その空洞を埋めるべく生命尊重という話になり、店主のところに直接抗議に訪れる人間もいたようだし、閉店に追い込まれたわけだ。この少年について、死んでよかったというのは、公の場では言えまいし、またネットでさえもなんか言いづらいのである。馬鹿の人生は無価値ということを実演して死んだわけだが、われわれはこの無価値さと対極とは言えまいし、むしろ、われわれの似姿であるから、この少年がまき散らした血塗れの脳漿や臓腑は人間そのもののくだらなさを露呈させたと言えるし、ジミ・ヘンドリックスになれなかった人間としては、やけに居心地が悪くもやもやする事案である。







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