2016.02.19

分類可能性

なぜコンピューターが世界を扱いうるのかと考えると、世界そのものが分類によって成り立っているからである。
人間は認識の主体だが、認識の対象でもある。
国籍で分類できるし、男女で分類できるし、身長や体重や年齢で分類できるし、そういう分類可能な属性をわれわれは持っている。
人間も犬も猫も、それぞれがオンリーワンだとは言えるし、固有の背番号を付けるのも可能ではあるが、分類出来てしまうのも確かである。
われわれは森羅万象を把握する認識能力がないので、分類済みのものとして物事を捉えているのである。
なにしろ世界のほとんどのことを直接は知らないのである。
だから分類の概念が先にある。
地球上のすべての犬を見た上で犬と分類しているのではなく、そこらの犬を少し見た程度で犬という分類概念を持つ。
ひとつの先入観であるが、認識能力の乏しさからして、先入観を排除することは出来ない。
われわれは人類の大半の人とは会ったことがない。
だが温厚とか気性が激しいとか、そういう情報を聞くだけで、会ったことのない人間の人物像を頭の中で生成出来る。

分類可能性の背景にあるのは、五感の絶対性である。
感覚一元論に帰着する。
その感覚の物差しが人類共通であるという確信である。
光に色は付いてないとニュートンは言ったが、われわれの視覚からすれば色は絶対的であり、それによって他人を素肌の色で分類するわけである。
色の認識がおかしい人がいれば、色覚障害者として分類されるのだ。
アイスクリームを食べながら甘いと思うとして、その味覚が本当に他人と同一であるかどうかは確認できないが、同一の物差しを持っていることが人類の大前提であり、おそらく同一なのであろう。







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