ニーチェ「曙光」(氷上英廣訳)
個人的な競争が古代ギリシア人にとって、
戦争・勝利および法律がローマ人にとって、
それぞれ核心であったと同様に、
商業が核心である一社会の文化が成立しつつあるのを、
われわれは現在いろいろなかたちで見ている。
商業人は、なにものも作ることをしないで、
すべてを見積もることに、
しかも彼自身の個人的な需要によってではなく、
消費者の需要によって見積もることに通じている。


なぜ人間は時代を共有するのか、という問題だが、経済の仕組みに巻き込まれているのも大きな要因である。
人間は余暇として生産活動をしているわけではなく、まさに生きるか死ぬかの死活問題であり、それを自転車操業として行っている。
需要がないものを供給しても仕方がない。
この需要という概念も曖昧模糊としたものであり、ステマに乗せられて、ブームだから欲しいと思っているだけかもしれないが、ともかく需要-供給で同時代性に巻き込まれているのである。
耐久消費財であれば、しばらく在庫として積んでおけるが、それはそれで大変であるし、限度がある。
原則的には、その時代の需要に合わせて、短期間で売れることを見込んで製造するしかない。
作るだけ作って売れるまで10年でも20年でも待つというわけにはいかない。
こういう経済的な理由でも、同時代性を無視するわけにはいかないのである。







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