流行遅れがなぜ恥ずかしいのかと言えば、畢竟するに、扱いに困るという結論だけであろう。
人気者をチヤホヤするのは義務である。
もしくは儀礼と言ってもいいが、そういう社交辞令の類の話である。
もちろん素朴なミーハー根性もあるだろうが、何よりも義務である。
この義務はおそらく社会的な共感性の問題である。

テレビ番組に、やや落ち目の人が出てくると、なんとなく空気が微妙になるわけである。
現在の落ち目具合に合わせて恬淡と接すればいいのか、それとも、未だに人気絶頂であるという嘘くさい設定で接しなければいけないのか、何とも言えない状態になる。
冷淡に接するのは残酷と思えるし、未だにチヤホヤするのもむず痒いし、居心地が悪い。
この居心地の悪さが流行遅れなのである。
最近で言えば、ももクロあたりが、その微妙な人物になるであろう。

そもそもわれわれは世間の評価を追認しているわけである。
もしくは外部と接する時、その外部の自治を追認するわけである。
ドイツの首相がメルケルだと決まっていれば、そのように遇するわけである。
われわれがメルケルを首相に選んだわけではないが、ドイツという国家を承認し、正統性がある首相としてメルケルという人物を追認しているのである。

つまり、どこかで誰かが決めたことを追認するのが世界認識なのである。
このような社会的事実は、分散的なトートロジーになっているから、尻尾をつかむことができない円環であるし、流行現象というのも、他人の熱量を追い求めているのであろうが、祭りの後のわびしさへの対応が難しい。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング