知識偏重という言葉があるが、「偏重」というレトリックの怪しさは踏まえて貰いたい。
つまり「偏重はよくない」と言われたら、正論の極みなのである。
「偏りすぎてる方がいいんだよ!」と言えないこともないが、フォーマルな場では無理だろう。
「知識偏重はよくない」と言われたら勝ち目が無い。
ディベートなら「どの基準を超えたら偏重なのですか」と質問するのは可能だが、だいたい社会において質問は禁じられており、こういうスローガンは一方的に垂れ流される。

法科大学院の問題も、たぶんそこなのである。
知識偏重はよくないというスローガンで作られたが、では旧司法試験で落ちるような人間を裁判官にするのかという疑問があり、結局は瓦解したのである。
専門知識を備えてない人間に下駄を履かせて裁判官にしたりしたら、ヤブ医者も同然であるから、危なくて仕方がない。

上述の理由により、裁判官を量産するにも限度があるわけである。
ではどうするかというと、警察官という素人が決めつけるのである。
できるだけ裁判は減らしたいから、まずは有罪と決めつけて、書類送検とか、略式起訴で罰金という落としどころにするわけである。
容疑を認めず法的に争う姿勢を見せると長期間拘束されて嫌がらせを受ける。
これは解決策がない難題であり、ヤブ医者みたいな裁判官を量産しても困るので、どうしようもない。
警察官は法律の素人だし、取り調べを受ける方も法律の素人だから、ずいぶん変な話なのである。
警察官はこのところ大卒が半数以上のはずだが、昔で言えば、高卒の体育会系であろうし、それが法律の判断をする恐ろしさである。
だが、法的な知識が怪しい裁判官を大量生産する方がもっと恐ろしいので、これはやむを得ないであろう。

だから、われわれの社会は警察が裁判官なのである。
われわれの刑法の解釈は、警察が動くか動かないかの問題である。
「これをやったら警察が来る」とか「これくらいだと警察は来ない」という過去の事例から刑法を理解している。







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