負けず嫌いというパーソナリティーがあるが、たいてい文化資本が脆弱である。状況がよく見えておらず盲目的な衝動に取り憑かれている。その気性の激しさは悪魔に取り憑かれた淫祠邪教の徒と言っても差し支えがないが、生まれつきの性格や気質の問題と言うよりは、物事の認識力の弱さが伺える。やたらと視野が狭くて無知だから話が通じないし手が付けられない。戦局が見えてないのに特攻精神だけは満ち溢れており、猪突猛進して騒擾を巻き起こし敗北の憂き目を見るのがオチである。

もしくは状況をよく把握している人が負けず嫌いである場合、それは問題ではない。視野が広くて見識が高ければ愚かしい自己主張をしないので、周囲が悩まされることはない。あくまで盲目的な負けず嫌いで自己主張が激しく泥沼化する人を想定して話しているのである。

人類は五感の仕組みが共通しているはずで、色覚障害などを除くと、共通のフォーマットに従い、誰でも同じ映像が見えているはずなのだが、それでも理解度の差がある。親子で美術館に行くとして、教養がないと漠然と見るだけで終わりである。教養がある親だと、いろいろと見識の高い感想を述べるであろう。同じ絵を見ても、文化的認識力の差が生じる。知識なんてwikipediaで調べればいいと言うかも知れないが、これはナチュラルな洞察力とは違うのである。会話には着眼点というものがあり、同じところに着目しながら言葉を交わすのである。馬鹿な親だと愚昧な雑談で終始するが、優秀な親だと物事の見方や、物事の不思議さなど、謎解きの課題として呈示し知的好奇心を刺激することができる。親子の会話で自我が形成されるのだから、これは文化的遺伝と言えるし、たいていは金銭的な資産と比例するであろうが、あくまで文化的な毛並みのよさなのである。

はるかぜのババアと話が通じないのは、やはり無類の負けず嫌いであるし、その激憤で世の中に体当たりしていく。無知蒙昧を体現した群賊悪獣として突撃していくわけである。これを性格的問題と言うのは容易いが、根底にあるのは文化的な理解力の弱さである。この親子の知的好奇心の欠如は凄まじく、いろんな物事をまったく不思議に思ってないのである。謎解きの楽しさを教えられたことがないから学業への意欲が極めて低い。

有村悠さん(36歳)はここ最近は更生しつつあるが、はるかぜのババアと大差がない暴れ方をしていたのは、劣悪な家庭環境の反映であっただろうし、親からろくに教わってない人間ならではの盲目性で、怒り以外の感情を持たないテロリストとなり、あちこちに突撃して顰蹙を買っていたのである。あのババアと違って、有村悠さんは東大に合格(中退)された知力をお持ちであるし、文化資本を親から投じられなかった人間が、後天的にそれを得ることができるかどうか興味深いケースである。有村悠さんの自伝的なエッセイはかなり読み応えがあるので、後半生で文化的認識の組み替えが行われれば表現者としての飛躍も期待される。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング