偉い人と偉そうな人の違いは、社会的な事実の問題である。昭和天皇は本物だが、熊沢天皇はニセモノである。究極的に本物の天皇とはなんぞやと言うと難しく、おそらく根拠はないであろうから、われわれが立脚している社会的事実や歴史的事実の問題だと言うしかない。事実は人類が共有している情報でしかないから、宇宙の真理ではないし、天皇であろうがローマ法皇であろうが、究極的な根拠は見いだせない。むしろ根無し草である人類が割り当てた人為的な記号というところに文化的に意味があるのだろうし、皇位継承の争いや、朝敵という符号も含めて、社会という骨格における力や整合性や秩序である。時として「偉い人」と「偉そうな人」の区別が付かなくなるのは、やはりこの区別が社会的事実によるものだからだろうし、たとえば医者でさえも「偉い」のか「偉そう」なのかわからないわけである。このところ患者の方が偉そうにするようになったのも、ひとつの革命権であろうし、医者が偉いという伝統的な事実も、民衆が叩き潰すべきフィクションと言えるし、なぜ昔はあれほどまでに医者に頭を下げないといけなかったのか、それも判然としないのである。結局のところ「偉い」という観念自体が曖昧で根拠がないので、「偉そう」なのと区別が付かないのである。組織の中の上下関係ならまだしも、そうでないとなると「偉い人」というのはよくわからない。「偉い人」というのは父性的な概念であるし、コミンテルンや極左冒険主義は破綻したとしても、伝統的な価値観の転覆を成し遂げたというべき人権運動において父権が失墜した社会では、なおさら偉いという概念が判然としなくなる。威張るという本能的な示威行為があるとして、それが本物かニセモノかというのは何とも言えないし、限られた時間を生きている個々人が、その一回性の人生で旗幟を鮮明にすることはできるにせよ、長いスパンで見ればすべては革命権で討たれるのであり、永遠ということはない。







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