いちいち他人に確認して「わたしも同じ認識です」という証言を取る意味はない。
というより、他人の頭の中は確認できないので、究極の了解はできない。
言葉で確認するのも、言質を取るのが必要であればそうしなければならないが、たいていの場合は、言葉での誓約は不要であろう。

つまり暗黙の了解に言葉で念押ししてもたいして意味がない。
だからわれわれは言葉で念押ししないのである。
他人の頭を開いて脳を調べたところで何もわからないから、この世には暗黙の了解しかないと言っても言いくらいである。

想像で察する以外に何もできないのであるし、われわれ人類は性能違いのクローンであるから、だいたいのあたりは付くわけである。
想像が正しいとは限らないし、誰も予想しないような驚愕の事実が出てくることも時たまあるが、それは仕方がないのである。

隣に並んで同じ景色を見ていても、本当に同じ景色かどうかわからないし、もちろん言葉で「あれは青」とか「あれは山」とか確認して、たぶん同じだろうという推定を補強することはできるが、いずれにせよ、普段からそういう認識の確認などしない。
他人も同じ認識をしているだろうと思っているから省いているし、暗黙の了解なのである。

たとえば他人のカップルが別れたとして、察しの悪い人もいるから、好奇な噂話とはまた別に、「あいつらは別れたらしいよ」と教えてあげる必要があることもあるが、これは察しの悪い人への介護である。
そういう介護を要する鈍い人がいない場合には、言われなくてもみんな察しているので、それだけである。
これにしても、別れた素振りをしているだけかもしれないわけで、その察しの方が間違っているかもしれないが、われわれは超能力者ではないから想像で理解するのが限界である。







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