車輪の再発明という問題であるが、解決済みの問題を解いても意味がないわけである。
訓練のために解答がある問題集を解いてもいいが、あくまで練習問題であるし、そこに新しさはないわけだ。

われわれは時代の中に存在している。
時代とはなんぞやという場合、その時点での解決済みの問題と未解決問題の区分けがとても重要である。
この未解決問題は練習問題ではなく実践である。
本当に解かなければならないし、解けなければ人が死ぬとか、著しく不幸になるとか、逆に言えば解くことで大きな利益が得られる、のである。

自分の持っている技術が、人生の途中で使いものにならなくなることもあるわけだ。
なぜか人間は頭が固くなって老衰していくので、技術革新は、用済みになった不平士族を生み出すのである。
この間まで剣術で生きていた人間が、まったく別のことを学び直すことは難しい。
古い人間が退場し、新しい人間が台頭する。
この新しい人間もいずれは古くなるのだし、その繰り返しである。

もしくは、自分で新しいものを提示して、既存のものを時代遅れにすることもできる。
何にせよ、いつでも人間は時代の最先端への適応を迫られるのであり、このせめぎ合いで敗北するとなれば死ぬしかない。
つまり社会への「適応」と言っても、その適応の条件は流動的なのである。







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