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サリーとアンの問題は自閉症の古典的な事例だから、細かい解説は省く。
自閉症のアンは、サリーの頭の中について理解していないのである。
これが心の理論の欠如である。

敷衍して言うなら、自閉症でなくても、察しの良し悪しの格差というものがある。
相手の頭の中の情報の想像である。
「あいつは鈍感だから気づいてないだろうな」というのはあるわけだ。
もちろん心の理論は想像であるから、絶対の真実ではないが、とはいえ、だいたい想像がつくのも確かであるし、そもそもわれわれは超能力者ではないから、想像で判断するしかない。
すべて的中したらそれこそ怖いわけである。
相手が知らないと思っていたら実は知っていたということもあるし、完全には的中しない。

大事な仕事なら、念には念を入れて、お互いに細かい確認作業をするだろうが、普段の人間関係でそんなことはしない。
鈍感なのを指摘されて笑い話になるような関係であれば別だが、そういう親しさがないのであれば、「この人は気づいてない」と思っても、わざわざ言うことはない。
いろんな意味で、暗黙の了解である。
意地が悪いというよりは、普通に察するべきことを言葉で確認するのはどう考えても変である。

長男は不器用で次男は世渡り上手という法則が古典的にあるわけだが、親という生き物は、長男には言葉で念押しして確認するが、次男には確認しないので、次男のほうがソーシャルスキルが高くなる。
昔みたいな家父長制の頑迷固陋な世の中なら、長男の不器用さも美徳ではあるが、今日の社会ではひとつもメリットがないので、言われずとも察したり、大人を見透かしたりする能力を高めることが必要である。







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