不良とDQNはまったく異なる。
われわれが不良という場合、それは善悪を問うているが、DQNという場合は、品性を問題視している。

人間として問われるポイントが変わったから、不良が死語になり、DQNという言葉が頻用されることになった。
人間を判断するときに、善悪から上品-下品に変わったのは、まず厳格さを重んずる神経症的な世界が滅びたからであるし、発達障害という概念の広まりが背景である。
多動性というのは極めて卓見であり、身体が勝手に動いているのを馬鹿の特徴として定義したのは、あまりにも的確と言うしか無い。

はるかぜ親子が世間を敵だと思っているのは、同情を惹くための戦略だろうが、やはり物事を善悪でしか判断できないのであり、下品なことへの抵抗感がまったく無いのである。
刑法に触れなければ何をやってもいいと考えている。
娘の方は気の毒ながらずいぶん挙動不審に見えるが、上品に澄ましているような仕草を知らないのであろう。
だから顰蹙を買うのだが、自分は悪く無いという意識が強いはず。

品性というのは、やはり生まれ育った家庭の経済力、もしくは文化資本に依存するし、底辺の無教養家庭の少女が、深窓の令嬢としてエレガントに振舞おうとしても、それはそれで背伸びし過ぎであり破綻するが、黙っておとなしくしているというのは貧困層でも出来ることである。

多動性というのは本人が治したいと思えば治せるし、はるかぜ親子に出来るのは、ナベプロでおとなしくしていることだったが、ババアのほうがかなり衝動的な性格だと思われるため、「何もしない」状態が多大なストレスなのである。
治す気はまったくなかったわけだ。
我慢できずにやってしまうことは、たいていはマイナスの結果を生むし、ナベプロ社員が手に負えないような人物であれば、DQNという枠になってしまう。







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