いわゆる「玉の輿」という概念がある。女子中学生や女子高生はそんなこと考えまいが、だんだんおばさんなると、そういう発想が生まれてくる。瘴気を放つ塵芥のような女でも、医者と結婚すれば、医者という看板を掲げた家の一員になれる。父権が失墜しても、この職業への感覚は変わらないし、大文字の父を中心に世界を理解するのは本能に深く根を張っている。その男尊女卑に抗するべく「専業主夫」をやる男性もいるようだが、やはり父親の職業がその家の看板であり、家族の構成員がそれに帰属するのが普通である。職業に貴賎なしというのは容易いが、職業で階層化されているのが21世紀の社会の実態である。

若い女とおばさんが本当に同一人物なのかわからないし、われわれ男にしても、10年前の自分と現在の自分の同一性は疑わしい。とはいえ、股間についている一物はずっと同じであり、そして健在でもある。おばさんでも性器は付いているが、40歳くらいが出産の限界である。実践でチンコを使う機会など無い非モテの男も似たり寄ったりのはずだが、60歳の爺さんでもデリヘルの可愛い子を呼ぶとか、そういうのは可能であるから、どこか違う。女というのはチヤホヤされる花ざかりの煌めく時期を体験しているだけに、加齢によりそれを失うと、枯れ木として第二の人生に入るのである。生まれてから死ぬまで一貫してモテない醜男とはまた別である。

そしておばさんになると、人生への「悔恨」が生じてくるらしい。たぶんこれは本当の後悔ではなくて、中年になると名誉が欲しくなるのだ。知性と無縁であり、知性を蔑んでいた人間が中年になると、それを欲しがる。時として男より女のほうが「人生」に執着するのは、男だと自分が冴えない人間なら自業自得として諦めがつくが、女は玉の輿という逆転オプションがあり、もしくは「子育て」で人生を逆転するというルートである。女が帰属する生き物だからこそ、諦めが悪くなってしまうのだ。

加藤智大の母親のように息子にスパルタ教育をしたり、もしくは、はるかぜのババアのように娘を自分のクローンにして、二度目の人生をやろうとする。いずれも「後悔」が根っこにあるわけだ。本当に悔恨があるなら、自分で勉強してみてはどうかと思うが、実のところ、知性に目覚めたのではなく、階級意識に目覚めただけなので、見栄っ張りは止められない。この後半生で目覚めた理想主義は厄介である。母親自身が東大卒とかそういうことならいいが、たいていは後付けの理想主義者であり、人生逆転への執着であるから、身の程知らずであり、妥協も加減もない。







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