ポルシェなど欲しくないと言えば、酸っぱい葡萄と言われる。だが、「欲しくない」という姿勢はとても大事である。「欲しくない」という戦略を取れないのなら、どこを見渡しても欲しいものだらけであり、われわれの我執を惹起して押しつぶしていく。セールスマンが訪問するたびに買っていては破産してしまう。だからわたしはポルシェは欲しくないと主張する。酸っぱい葡萄だと言われるのだろうし、本当はポルシェが欲しいのだろうと言われるだろうが、高級車を欲しがらない戦略性だとわたしは答える。あの手この手でポルシェが欲しいというわたしの本音を抉り出そうとするのだろうし、「やっぱりポルシェが欲しいんだ」と言われるだろうが、そういう貪りとは決別すると菩提樹の下で悟ったのである。では、万が一、わたしがポルシェを手に入れられるとしたら、それでも断るのかと問われるかもしれないが、その時はその時である。手に入らないなら欲しがらないのが節度ある態度である。ポルシェが手に入る境遇ではないのにポルシェを欲しがるのは、要するに物乞いである。手に入らないものに手を伸ばして涎を垂らすのは乞食である。酢っぽい葡萄という思想警察から拷問にかけられても、欲しくないものは欲しくないというしかないし、燃え盛る欲望と火遊び出来る王族でないならひとりの衆生としての節度を守ると宣言するしかない。物欲など衝動的なものだから、その膨れ上がった固まりも、しばらくやり過ごしていれば、欲求の鮮度は色あせて熱量を失い、塵芥へと分解され、奢侈に堕落する手前にいた精神も平静を取り戻す。死ぬほど何かを欲しがっていた自分は過去に葬り去られ、また新しい現在へと移動する。天女が舞う歓喜園を見ざる人は楽しみを知らないのだ、と言われた仏陀は、此世は諸行無常であり、生は滅すると答えたが、われわれは無我なのである。この肉体に囚われた自己が対象を認識したり望んだりしているように思えるが、誰もが舛添要一みたいにガツガツしながら生きているわけではないし、酸っぱい葡萄の思想警察から「人間はすべて舛添である」と言われたなら、涎を垂らさない節度が在るのが人間であると答えるしか無い。







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