人間に寿命があるのも面白いところで、現在の科学技術だとコールドスリープは無理であるから、この五濁悪世と言うべき世情の乱れが終わりを告げるまで核シェルターで100年くらい寝て待つというわけにはいかない。現在という時間はいつも先鋭化してわれわれの喉元に突きつけられている。その社会的な槍先から逃れて地下に潜るとしても、自然法則により若さは削り取られ、暗渠の老囚徒として馬齢を重ねるのみである。われわれは延々と現在をループして生きているから、過去や未来が本当にあるのかどうか疑わしいが、この文脈では、そこまで深く問う必要はあるまい。われわれは生まれてから死ぬまで現在を延々と生きており、過去と未来に挟まれた連続性の中で流転している。新築の家が中古になって朽ちていくとしても、そこに同一性はある。時間の経過とともに変化しても同一性があるのは人間的信仰というよりは、宇宙の真理であろうし、時間のフレームが切り替わるたびに、まったく新たに物質が生成されるのではない。物理的な連続性は必ず在り、それが同一性である。10年ぶりに訪れた街がすっかり様変わりしているとしても、それは夢のなかの出来事のように変貌したのではなく、物理的に劣化したり、もしくは物理的に新築する作業などでいろいろと変わっているのである。物質は決して無にはならないので、形態が変質し、機能として死するだけである。冷蔵庫が壊れたなら修理して、食品を冷やすというループ構造に復帰させるのも可能であるが、人間の死は復旧させることが出来ない。この現実という現在性は、時間の連続性ありきの流転なのである。だから因果というものがあり、いきなり悪夢が覚めるようなことはない。鼻が曲がるような死穢の菩提を弔い、その土気色のはかなさに思いを寄せながら、悪夢が終わらずとも悪夢を見る自分が終わるのを待つのもひとつの解決ではあるが、いわば力への意思を持った人間として、この連綿たる悪夢の輪廻を終わらせて王道楽土に至るためには、民衆の膏血を絞るだけのブルジョワ階級の根城を壊滅するべく戦端を開き、どのような急峻たる崖であれど登攀することを厭わず、数多の同志が刑場の露として消えようとも、その血で直線的な歴史を描くしかないのである。







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