暴力は一定ではない。
津波のような天災とは違って、許しを請えば手加減してくれる。
だから暴力に甘んじるのであるし、降参することで暴力の手加減を求める。
猫がお腹を見せて降参するポーズをすることもあるし、これは本能に強く根ざしたものであろう。

暴力は最大出力ではなく、心理的な駆け引きであるから、力学では解けない。
これは国家からスクールカーストまで通底する問題であるが、ひとまず国家の問題について考えよう。

国家の支配者は決して不死身の超能力者ではないが、それだけ数を集めている。
どれだけ屈強な肉体の持ち主でも、権力者には命乞いするしかない。
力とは政治的な団結力である。

いろんな意味で皆殺しは出来ないので、見せしめが基本となる。
当たり前だが、農民を皆殺しにしたら、自分で農作業をやる羽目に陥る。
土地の収奪が目的であれば皆殺しもあるが、労働力や徴税が目当てであれば、それはない。

ともかく殺さないのが暴力の本質である。
殺したら意味が無いので、鞭で腫れ上がられせることはあっても、生かしておかなければならない。

国家ならまだしも、なぜハイスクールで命乞いが必要なのかは不明であるが、たぶん学校では、そういう原始的な本能に基づいた奴隷としてのアティチュードを教えこまれるのである。

そしてこういう暴力が持つ駆け引きの性質こそが、ルサンチマンとテロリズムの根源なのである。
「暴力」という生き地獄の悪魔に対抗するには、いきなり殺害してしまえばいいという発想が浮かんでくるのは必然である。
その復讐の空想の反復がルサンチマンだが、ごく稀にテロリズムとして現実に実行される。
暴力へのアンチテーゼがテロリズムであると言ってもいいのだが、なぜか暴力だと言われるのである。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング