まとめブログが普通のブログより優れているとすれば、余分な記述が許されるからであろう。愚民なりに物事を検討し、あれやこれや言いながら盲点を消して、一切の有を遍く照らすとは言わずとも、だいたいの見解や情報を一通り揃えた全体像を描いていくことが出来る。それでは、われわれブロガーは自分でそういうエントリーを書けばいいのであろうし、絶対に無理とか、そういうことではないが、やはり文章としては、すべてを網羅するようにしながら多角的に書くのは難しい。ああいう意見もあればこういう意見もあるという文章はあまり褒められたものではない。書いてはいけないという法律はないが、ひとつの文章においてひとつのスタンスというのは基本であり、だから文章というものは、同じ切り口の主張を表現を変えて繰り返すだけになる。一回性の時間の中で一回の人生を生きるからには、矛盾する思想を抱え込むのはよくない。意見を固定するのが此世のルールであるし、人間の言動は予想可能であることが求められるから、スタンスがコロコロ変わると顰蹙を買う。ましてやひとつの文章の中で矛盾したことを書くことは支離滅裂であろう。矛盾して何が悪いのか知らないが、スタンスが固定されてないと混乱するわけである。脱線が多いと読みづらいし、話が元に戻るまで集中力が切れないようにしないといけないから読む方も疲れる。情報を記述するとしても、全体の流れからして余分だと思われるエピソードは割愛するのがルールである。余談として扱うべき情報は、末尾に注釈として添えればいいのかもしれないが、ネットに上げるテキストにそういう慣習がないようだ。事象を断片的に記述するとなると、あちこちを食い散らかしているようにも思えるし、思考として掘り下げ方が足りない。集合知だからこそ、人海戦術であちこち浅く掘る作業も視野を広げる利点があるのであり、自分一人でそれをやるのは思考が散漫なだけ、とも言える。書き手のスタンスをはっきりさせて、ひとつの結論に収斂していくように綴ることが求められる。そもそも他者のスタンスが固定されていることを前提として、わたしはこうして書いているのだ。おまえらが冷蔵庫や洗濯機のように決まりきった動きしかしないと確信しているからこそ、そこに向けた攻撃として、わたしの文章も成り立つのだ。すべてが予測不能という虚無に向かっては何も書くことが出来ない。それぞれが衆魔のひとりとして、お互いに根城が在ると思い込みながら、そのスタンスの整合性を監視している。そうやって人間はいつも同じ言動をループさせながら埋葬されていく。







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