たとえば森喜朗は78歳である。
森喜朗が100歳まで生きるとしても、さすがに80歳を過ぎたら、いくら体力自慢でも年には勝てまい。
都知事選で小泉純一郎や細川護熙の老耄とした姿を目撃したような具合になる。
精力的に活動できるのはあと数年であろうから、周囲は模様眺めしてしまう。

東京五輪問題に関して、われわれは森喜朗と考え方が対立しているのではなく、利権に絡める人間と絡めない人間の対立であるから、議論をするべき問題ではないし、思想的には階級闘争の問題として捉えるしか無いが、革命運動をやるほどの問題ではないし、仕方があるまい。

森喜朗とか電通が頑迷固陋たる執着を示すのも金銭的な動機でしかない。
税金の無駄遣いをなくせば、われわれにも薄く広く金銭的な恩恵はあるはずだが、特定少数者の巨額利権の強度に比べたら、われわれの動機が弱すぎる。

森喜朗が首相だった時に「加藤の乱」があったわけである。
あれも、加藤紘一はただ待っていればよかったのである。
森喜朗内閣の低支持率を考えれば、倒れるのは時間の問題だった。
しばらく待っていれば変わる場合には、待つのが妥当なのである。

言うまでもなく、われわれと森喜朗は同じ速度で加齢するし、何でもかんでも待てばいいというものではないが、彼の周囲にいる人は加藤の乱の教訓からして待つであろうし、われわれも待つのが癖になってるから、自分も年を取ると理屈ではわかっていても、何もせずに時代の変化を待っているのである。
電通に関しても、東京五輪までは持つかもしれないが、さすがにそろそろ限界であろうし、10年後にどうなっているかはわからない。







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