労苦というのは、人間にとって必要である。
何をやるのも辛くなく、すべてのことが負担にならないとしたら、これはたぶん人間ではないであろう。
どうやって人間が設計されたのかは知らないが、いろんな作業が、たとえば全自動洗濯機みたいに出来ても、それはそれで困るのであろう。
苦痛の量というのがあり、それはたぶん人類普遍の物差しなのである。

話の前提として、世界は素朴には実在していない。
物質だけだと、宇宙はただのデータのようなものだから、このような現象世界は生成されていない。
人間が触れることで、この頭の中で現象していくのである。
この現象世界を生々しくしているのは快楽-苦痛の原理であり、今の話の文脈であれば「気力」ということである。
しんどいとか、そういう抵抗があることで、無重力ではない、重みのある現象世界となる。

たとえば肉体労働がどれだけ苦痛かというのは決まっており、個々人の体力や腕力の差も含めて、想像が付くわけである。
賃金というのは苦痛の量に応じて支払われるのかというと、たぶんそうではないし、時間に対して払われる。
だから「割に合わない」という感覚があり、発展途上国の人間ならではの、肉体労働に耐えられそうな移民が必要とされる。

ともかく全自動洗濯機ではなく、人間として生きているというのは、しんどいとか、めんどうとか、そういう裏付けが必要なのである。
これも個人差があるだろうし、なにかをやるたびにしんどいと感じる人間がいる一方で、あまり深く考えずに恬淡と片付けてしまう人もいるだろう。
そういう性格付けはたぶん個性として与えられているので、物差しが違うわけではない。
しんどさにも、それなりの相場というか、市場価格がある。
その負担の度合いを念頭に起きつつ、われわれは等価交換したり、もしくは一方的に押し付けることもあるだろうが、どちらにせよ、負担であることが前提である。
その重みがあるからこそ人間だというしかないし、なぜ人生が辛いのかといえば、辛くなかったら機械と同じだからと言うしか無い。







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