2016.07.04

人間は死んだ

われわれ人間の肉体が作り出している現象世界。宇宙に色がなくても、この現象世界には色があり、物自体に音も匂いも味もなくても、人間の肉体はそういう感覚現象を創りだして、この生成された世界の中で文化が生まれていくのである。そこに根拠はなくとも、人間という謎の存在をわれわれは生きており、血で書かれた文字だけに価値があるというニーチェの言うとおりに運命愛を信じていたのである。とはいえ、そろそろ未知の領域がなくなってきて、人類はすべてをやり尽くした印象がある。137億年の宇宙の歴史の中で、つい5000年前に文字を使い始め、それは生物が知性を持つ革命の幕開けだったのだが、もはや人間はすべてが踏破され、未知の領域がなくなっている。われわれは先進国の住人として、アッパークラスに生まれなければ、人生は生きる価値が無いと考えており、ただ産み落とされるだけでは有り難くないと確信している。ではそのアッパークラスが世の中を面白くしているかというとたぶんそうではあるまいし、彼らがパトロンとして不朽の芸術を世に残している様子もない。無論、科学だけは進歩していくし、宇宙の謎も紐解かれていくのだろうが、その科学の未来に惹かれる想いの弱さは、かつての科学への強い憧れと、あまりにも対照的だ。世界はプラグマティズムに覆い尽くされており、この産学協同社会の中で研究費を獲得するために回っているから、効率がよくないものは夾雑物として消え去っていく。文学部廃止などはプラグマティズムの最たるものである。この地球上はすべて調べ尽くされており、未知の探索のために出奔する動機はないし、世界の僻地を旅するにしてもガイドブックがある。ドロップアウトする美学も否定されており、たとえば三浦カズが1982年に高校を中退してブラジルに渡ったような物語は、もはや誰も憧れない。ろくにサッカーも出来ないクルクルパーが、ブラジルにサッカー留学すれば三浦カズになれると大挙して渡航してマヌケなことになったのもあるし、サッカー人気が定着してからは、育成システムも確立され、才能があるなら日本でやったほうがいいということになった。日本人選手が欧州サッカーに挑戦するとしても、電通のお世話付きであるから、まったく未知への挑戦ではない。このようなノウハウの確立はまさにプラグマティズムであり、人生は運命ではなくなったのである。かつて早稲田大学は中退する人間が一流であり、留年は二流であり、四年で卒業するのは三流だと言われていたが、これもおそらく1980年代までの話である。1990年以降に早稲田を中退したら、一流の人間どころか、ただの高卒である。ドロップアウトとは、決まりきった人生への拒否であり、未知の世界を見ようという行為でもあろうが、美化もされないしリスクも高いとなれば、実行する馬鹿もいない。プラグマティズムはロックスターを否定してしまうので、音楽産業はもはや音楽などどうでもよく、計算されたマーケティングに堕した。すべてが踏破された地球に未知なる天人の奏楽を響かせ、瞬間だけでも山紫水明の世界に変えようという試みは誰もしないし、あらゆることが既出である終の棲家で暮らしているのである。







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