2016.07.17

退屈と新しさ

退屈とはなんだろうかというと、新しさがない状態に耐えられない感情である。
おそらく多動性が強いと退屈になりやすいであろう。
依存症として括られやすいタイプである。
とはいえ、退屈そのものはおそらく普遍的なものである。
人間は新しさを待ちわびている。
新しいことがないと手持ち無沙汰になる。
われわれがニュースを追っかけているのも、それが世界の更新作業なのであろうし、退屈さに一息つくことなのである。
新しさへの飢えの度合いは個人差があるにしても、やはりニュースには誰でも食いつく。
これでわれわれは同時代人と同期して、同時代性を生きている。
新しい出来事を待ちわびており、その新しさに殺到して食いつくからこそ同時代である。

新しさがなければ酸欠のようになってしまうのが人間である。
好奇心で新しさを求める設定になっている。
人間は被造物であり、そのように創造されているのである。
息苦しく重苦しい時間が空転し、何かが起こるまで「暇人」として無駄な時間を過ごしてしまうこともある。
これに個人差があるのは言うまでもない。
退屈に耐えられないのは人間に共通した特徴であるが、重症か軽症かの違いはあり、重症であるならば、明らかに欠陥となってしまう。
無であれば無でも平気であるはずだし、要するに精神的飢餓であるから、先天的な特徴を含めた心構え次第とも言える。

いわゆる暇つぶしというのは、たとえばゲームなどをやってストレス発散することである。
現実がつまらなくて、好奇心が満たせないなら、ゲームという架空の世界で済ませてしまう。
時間の空費を避けるためにゲームで時間を浪費するのが最高の解決策とは言い難いので、やらないに越したことはない。
それでもゲームが存在してしまうのは、新しい刺激がない退屈な状態に耐えられないのが人間だからである。
退屈の安易な解決方法がゲームとして跋扈しているのである。







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